うーんと久しぶりに、ライジングに 「私の『戦争論』論」として 原稿を書かせていただきました。 京都の道場で基調講演した後も思うことが いろいろあって、言い足りないこともあって、 それらが次々と頭に浮かんでは消え・・・。 (消えたら二度と戻ってこない)。 でもそうして考えるプロセスが楽しかった。 結局のところ、私があれこれ考える事柄など、 すでに「すべて」が『戦争論』に包含されている。 パイオニアがいるって悔しいよなあ。 そして戦後の歩みを思うだに、じいちゃんたちの世代は すごかったと思う。 陸士や海兵に行って将校になった人はもちろん、 召集されて仕方なく戦場に行った兵士だって、 公を思う気持ちに温度差はあれど、彼らは皆、 それを背負って戦ったのだから。 そのおじいちゃんたちを「すごい」「立派だ」と 思う人は増えてきた。 でもいつの間にか「日本人はすごい」になって、 「日本人である自分はすごい」に変わってきて、 結局は自分にゲタを履かせたいがために 日本軍を称賛するという珍現象が起きた。 逆だろう。 自分は公を背負っているか、それを問え。 簡単にできることではない。 ちなみに政治家になったからといって、 公を背負っているとは限らない。 「私」に流される自分を恥じよ。 そうでなければ、じいちゃんたちの世代の すごさを真に理解しているとは言えない。 そこは声を大にして言いたい。 それはともかく、ライジングでは 基調講演のまとめ「+α」で論じています。 ぜひご覧ください。 「おまけ」も付けたのですが、こちらも 掲載されるかなあ?
BLOGブログ
前の記事へ12月道場の申込み、お忘れなく!
真珠湾攻撃、搭乗員のインタビュー記事次の記事へ